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学生論 〜社会に必要ないことを学ぶワケ〜


「でも……学校ってホントに なにする所なんだろう?」
「無能が無知に無用をつめ込む所」

 学生時代に、
「何で社会に出てから役に立たないことを勉強せなアカンねん」と思ったり、口に出したりしたことがある人は少なくないでしょう。

 そんなよくある疑問に対して、学生暦ン十年の管理人がお答えします。


 私自身もまだ学生の身であり、社会人経験と言うものはまぁないといっていいでしょう。
 しかし、社会人でなくとも、大学の時点で高校までの勉強のいくつかは無駄であったということについては分かってしまいます。

 「無駄な勉強をした」例をあげるといくらでもあります。、古文や漢文、歴史の年号などが代表例でしょう。
 さらに、理系に進んだのにも関わらず、化学、物理、生物の一部では「ごめ〜ん、今までのウソ。も一回勉強してね」といった具合に、今までの勉強をチャラにしてくれることなどザラなのです。

 では、何故そんな無駄な勉強をさせるのか、ということについては、我々教育を受ける立場よりも、教育を行う立場、むしろ社会全体から見て考えたらよく分かります。


 学校における教育には、主に2つの理由が考えられます。

1. 社会上において基本的な教養をつける
2. 根性試し

 1. は、学校教育の表向きの理由として挙げられることが多いです。まぁ別に外れてもいませんけどね。やっぱり、日常会話のちょっとした教養や雑学に関しては、高学歴と言われる人の方が豊富であることが多いです(経験的なものなので、反論はご遠慮願います)。

 ただ、「そんな雑学などよりも実用性のある知識を教えるべきだ!」と考える人が多いんですよね〜。そこで理由2. が出てくるのです。


 2. こそが、義務教育の本来の目的ではないかと考えています。すなわち、

必要のないことをどこまで我慢して勉強できるか

 ってことです。
 実際問題、社会とは無駄、理不尽、不条理、不必要のカタマリから出来ているのですから。これでふるいにかけておくと、社会に出た後にストレス耐性や根性の度合いがある程度分かるってもんです。

 「別に必要なものを教えたとしても根性試しはできる!」と思うかもしれませんが、
必要となるものは人それぞれ異なるのです。成長してどのような分野に進むか未知数の子供に対して、「これが必要!」と言える、共通したものって何でしょう?

 かつ、根性試しを行ったとして、その結果を判定するのは教師(またはそれに順ずる者)なのです。教師にもいろいろな人がいるわけで、
たくさんいる子供を試すためには、誰にとっても不必要なものを教えることが一番客観的かつ公平でしょう。


 こうして、「無駄な勉強が出来る根性のある奴、もしくは頭のいい奴」がいわゆる“エリートコース”を進むように選別し、「根性のない奴」が“それなりの道”を歩むように選別しているのです。

 根性とは、チキンレースや根性焼きで試すものではありません。無駄なことに長時間耐え、真面目にこなすことが真の根性なのです。



 以上のことが、必要のないものを教える理由ではないでしょうか?
 ぶっちゃけた話、私が今所属している研究室で行っていることさえ、社会に出たら無駄なことになる可能性は大いにあります。しかし、ここで出した成果によって、私の根性と知力が判断されるのです。



 まとめます。

教育とは、受ける側に必要なのではなく、
社会が個人を判定、選別するために必要なのです

 そんな風に、社会にメリットがなければ、わざわざ予算を組んで教育なんかやりませんよ。


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